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隣に住んでたのDQN風一家の長男がピンポンを押してきた。ちょっとだけ開けて要件を聞いたら「子供用の弁当の作り方を教えてほしい」とのことだった。

time 2022/08/14

隣に住んでたのDQN風一家の長男がピンポンを押してきた。ちょっとだけ開けて要件を聞いたら「子供用の弁当の作り方を教えてほしい」とのことだった。

 

456: 名無し:17/03/14(火) 09:35:32 ID:PHL 
それから時々世間話で近況を話したり、
長男の恋愛相談を受けたりしてた。

 

次男、三男とも打ち解けて話すようになった。

 

たまにお菓子を作って渡したり、
スーパーで買い物して帰った時に偶然あって
荷物を持ってもらえたり、
味気なかった一人暮らしが楽しくなった。

 

 

私が失恋して落ち込んだ時に冗談を言って
兄弟が励ましてくれたりもした。

 

あの当時を振り返って彼らと過ごした時間が一番楽しかったと思う。

 

この先から震災の話になるので
気分を害される方は回避してください。

 

兄弟と出会って数年が経って、
長男が彼女と結婚が決まったって言っていたころ、
震災があった。

 

 

私たちが住んでいた場所は一瞬でぐちゃぐちゃになった。

 

私は出火する前に引っ張り出されたから助かったけど、
家財は全部燃えたし、倒壊した家屋の下敷きになった私は
軽度ながら障害が残り地元に帰った。

 

お隣に住んでいた彼らがどうなったのか、
私自身生活を立て直すのに必死で気にかける余裕がなかった。

 

写真が出てきたからたまに当時を思い出すことはあった
(近況報告で実家に手紙を書いた時に
一緒に撮った写真を同封した)けど、
父が亡くなったり認知症になった祖母の
介護があったりで日常が慌ただしかった。
震災のことを思い出すのがつらかったって言うのもある。

 

それから年月が過ぎて、主人の仕事の都合で
最近になって再び関西に戻ってきた。

 

私が被災したことを知っているので
主人は単身で行くことも考えたけど、
業務上単身の期間が最低でも五年、
もしかしたら定年まで赴任先にいることになるって
話だったから不安もあったけどついていくことに決めた。

 

少し前インフルが流行っている時期に、
下の子が感染して病院で偶然次男に再会した。

 

私は次男だとわからなかったけど、
向こうが私だとわかって「○○さんですか?」って声をかけられた。

 

お互いインフル疑惑の子供を連れていたし、
そう長話はできなかったけど診察の待ち時間に当時の話を聞いた。

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